1976-05-13 第77回国会 参議院 内閣委員会 第4号
こういうわけでございますから、そのときの特務機関関係は樺太庁から移管されていたということで、直接自分が召集したと、こういうふうに言われる。そして本人の北川さんも、召集令状によって召集されだというふうに認識をした中で一生懸命に働いたということでございますね。こういうことについても、これは北川さんの受けている受け方が間違っていたのかどうか、この辺も一つの問題があろうかと思います。
こういうわけでございますから、そのときの特務機関関係は樺太庁から移管されていたということで、直接自分が召集したと、こういうふうに言われる。そして本人の北川さんも、召集令状によって召集されだというふうに認識をした中で一生懸命に働いたということでございますね。こういうことについても、これは北川さんの受けている受け方が間違っていたのかどうか、この辺も一つの問題があろうかと思います。
これらの人々は、上海、北京、瀋陽、青島、包頭、長春、済南、ハルピン、ハイラル、広東等、各地の刑務所にばらばらに収容されていたものでありまして、特務機関関係犯罪、反革命罪、密入国その他一般犯罪に問われたものであります。これらの人々は、なお相当の刑期を残して釈放されているようでありまして、集団帰国の終了するに当り、強制送還されたもののようであります。
その中においては、以前の軍関係また特務機関関係、憲兵その他医療方面、こういった職責の方がおられます。年の若い方というのはほとんどおりません。ほとんど四十過ぎだと思います。一日の大体の時間割としては、朝起きてから朝食まで、自由活動をやっております。その間においては、新聞を読んでおります。それから自分の好きな書物、その内容としては、まず人民日報とか中国の新聞でありま正す。
従いましてこの特務機関関係は、奉天以外の特務機関関係も大体刑に触れておれば、それで刑法によつて処断されておると思います。と共にその機関の下部機関に属する職員、先程或る特務機関のごときは自動車の運転手まで、小便までに及んだと申したのでありますが、いわゆるこういうのは犯罪部隊……俗称ですね、つまり固つたものが全部犯罪、団体犯罪であります。内乱罪とか、騷擾罪のような団体的の犯罪である。
その次はハルビンに特務機関関係で判断されまするのが、小幡信長少将、久保宗治少将、熱海三郎少将、次が鉄道警護、略して鉄警と申しますが、鉄道警護関係で残されたと思われるグループとして瀬谷啓中将、太田満軍中将、瀬古満軍少将、福島満軍少将、有馬満軍少将、原満軍少将、これだけの方が鉄道警護関係であります。その次に齋藤義夫少将、この方は満軍の少将であつて、満洲軍の憲兵学校長であります。
尚満洲国におられた将官であつて、シベリアに入つたということは想像できるのでございますが、爾後全く行方が分らないという将官は柳田元三中将、吉岡安直中将、大木憲兵司令官、秋草少将、これはハルピンの特務機関関係であります。この方は全く消息が分りません。将官ラーゲルにおいて亡くなられた将官の数並びにお名前は次のようなものであります。
それがために、いわゆる前職が憲兵、警察、特務機関関係でない、單なる野戰の中隊長であつたにもかかわらず、民主運動に参加しなかつたという理由のもとに遅れたわけであります。
それは主として情報勤務者並びに一口に言えば特務機関関係の方・及び第一線軍師団の情報参謀、情報主任者等が多数含まれております。それは二十三年の六、七月から、二十四年の、昨年でございます。昨年の一月頃にかけまして、カザンにおいて百数十名の者が集結をして調査を受けて、その残りの約八、九十名の方がハバロフスクへ雇つて来ておられます。
その他特務機関関係、例えば東安機関におりました橋本幹准尉だとか、吉田武彦というのは、やつぱりいつの間にか收容所からぽつと消えて行きました。そして全然おらんところに、二人ともイクルーック地区のチレンボーボという炭鉱からお召が下つてイクルーックのエヌ・ベ・デで調べられて、その後行衞不明であります。
先程佐藤甚市さんのお話でしたが、逆送のお話があり、淺岡委員の質問に更に答えられたのですが、そうしますと、佐藤甚市証人の言われた前職の問題というものは、特高関係、憲兵関係、特務機関関係等々の人々を意味するということになりますか。