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9件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1976-05-13 第77回国会 参議院 内閣委員会 第4号

こういうわけでございますから、そのときの特務機関関係樺太庁から移管されていたということで、直接自分が召集したと、こういうふうに言われる。そして本人の北川さんも、召集令状によって召集されだというふうに認識をした中で一生懸命に働いたということでございますね。こういうことについても、これは北川さんの受けている受け方が間違っていたのかどうか、この辺も一つの問題があろうかと思います。  

小笠原貞子

1956-10-05 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第19号

これらの人々は、上海、北京、瀋陽、青島、包頭、長春、済南ハルピン、ハイラル、広東等、各地の刑務所にばらばらに収容されていたものでありまして、特務機関関係犯罪、反革命罪、密入国その他一般犯罪に問われたものであります。これらの人々は、なお相当の刑期を残して釈放されているようでありまして、集団帰国の終了するに当り、強制送還されたもののようであります。  

今村等

1956-07-21 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第16号

その中においては、以前の軍関係また特務機関関係、憲兵その他医療方面、こういった職責の方がおられます。年の若い方というのはほとんどおりません。ほとんど四十過ぎだと思います。一日の大体の時間割としては、朝起きてから朝食まで、自由活動をやっております。その間においては、新聞を読んでおります。それから自分の好きな書物、その内容としては、まず人民日報とか中国の新聞でありま正す。

露木清作

1950-04-29 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

従いましてこの特務機関関係は、奉天以外の特務機関関係も大体刑に触れておれば、それで刑法によつて処断されておると思います。と共にその機関下部機関に属する職員、先程或る特務機関のごときは自動車の運転手まで、小便までに及んだと申したのでありますが、いわゆるこういうのは犯罪部隊……俗称ですね、つまり固つたものが全部犯罪団体犯罪であります。内乱罪とか、騷擾罪のような団体的の犯罪である。

武藤喜一郎

1950-04-28 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第21号

その次はハルビンに特務機関関係で判断されまするのが、小幡信長少将久保宗治少将熱海三郎少将、次が鉄道警護、略して鉄警と申しますが、鉄道警護関係で残されたと思われるグループとして瀬谷啓中将太田満軍中将瀬古満軍少将福島満軍少将有馬満軍少将原満軍少将、これだけの方が鉄道警護関係であります。その次に齋藤義夫少将、この方は満軍の少将であつて、満洲軍憲兵学校長であります。

池谷半二郎

1950-04-28 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第21号

尚満洲国におられた将官であつて、シベリアに入つたということは想像できるのでございますが、爾後全く行方が分らないという将官柳田元三中将吉岡安直中将大木憲兵司令官秋草少将、これはハルピン特務機関関係であります。この方は全く消息が分りません。将官ラーゲルにおいて亡くなられた将官の数並びにお名前は次のようなものであります。

池谷半二郎

1950-02-06 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第10号

それは主として情報勤務者並びに一口に言えば特務機関関係の方・及び第一線軍師団情報参謀情報主任者等が多数含まれております。それは二十三年の六、七月から、二十四年の、昨年でございます。昨年の一月頃にかけまして、カザンにおいて百数十名の者が集結をして調査を受けて、その残りの約八、九十名の方がハバロフスクへ雇つて来ておられます。

種村佐孝

1949-12-24 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第6号

その他特務機関関係例えば東安機関におりました橋本幹准尉だとか、吉田武彦というのは、やつぱりいつの間にか收容所からぽつと消えて行きました。そして全然おらんところに、二人ともイクルーック地区のチレンボーボという炭鉱からお召が下つてイクルーックのエヌ・ベ・デで調べられて、その後行衞不明であります。

増崎依正

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